高校生カンボジア体験記.後編

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第五章 ゴミ問題の現状とこの先

どこまでも続く捨てられたゴミ..。これは私がカンボジアで見てきた中で、最も印象に残っているものといっても過言では無い。私たちは、バスでプノンペンからシェムリアップまでの約250kmを、約6時間かけて移動する機会があった。その道中、バスの車内から見た光景に強い衝撃を受けた。なんとプラスチックを始めとするものすごい数のゴミが、道路わきの左右あちこちに無造作に捨てられていたのだ。一部の区間だけでは無く、ほぼすべての区間でゴミが捨てられており、そんな光景が何10kmと続いた。

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バスの中から撮影。素晴らしい風景とは裏腹にゴミが目立つ。

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ゴミが散乱する中、放し飼いにされている牛。

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道路沿いで平気でゴミを燃やしている様子。一部のプラスチックを燃やすことで有毒のダイオキシンが発生するが大丈夫なのだろうか..。

環境大国である日本からすればとんでもない光景だが、この国ではこれがあたりまえなのだろう。これらの捨てられたゴミを拾い生計を立てている人もいるそうだが、このあたりまえを改善しない限り、いくら経済が発展したとしても先進国とは言えないだろうと思う。そこで必要になるのが教育だと私は考える。学校でゴミの捨て方やリサイクル方法、ゴミが及ぼす環境への影響等を教え、それを徹底させることで、すぐには無理だろうがいづれ改善できる日が来るだろう。

 

第六章 カンボジアへの影響力の必要性

シェムリアッププノンペンにて、中国語の看板を見ることが多々あった。大きな建造物や建造中の巨大ビルのほとんどが中国系の会社であることが多く、中国資本の規模と影響力の大きさをこの目で大きく実感した。その他には、サムスンを始めとする韓国企業を多く見かけたような気がした。日本企業もイオンを始めとして点在していたが、中国、韓国企業には及ばない。

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プノンペンにあるイオン。

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 イオンの中にはダイソーを始めとする日本で見慣れた店が沢山あった。ちなみにダイソーの商品は全て日本のものと同じで日本語であり、金額は少し割高の1.9ドル。

豊かな土地と労働力を持つカンボジアは今後ますますの経済成長が見込まれ、ざまざまなものや、幅広い分野の技術の需要が出てくるだろう。近年、日本は経済成長が衰えていく中、日本の誇れる技術の輸出先の確保や、食糧輸入リスクの分散を目的とし、経済成長の著しい中国の影響力に対抗する目的を含めて、カンボジアを始めとする東南アジアの国々に少なからず影響力を持っておく必要性があると感じた。

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 カンボジアにおける人口ピラミッド。若手の労働力が多く、急速な経済成長が見込まれる。この画像は引用させて頂きました。

 

第7章 日本の英語教育のありかた

この2週間のボランティア期間中、スタッフや外国人の友人との会話はすべて英語で行う必要があった。実際に他国の同世代の高校生(イギリス、フランス、オーストラリア、アメリカ、日本、中国、韓国)と英語で交流する中で感じたことがある。それはコミュニケーション英語力の圧倒的な差だ。イギリス人やアメリカ人等は母国語なのだから当然といえば当然だが、私は中国の友人の高い英語力に驚いた。渡航前から、中国の英語教育は日本より優れている、というのを聞いたことがあった。実際に会話をしたが、正直ここまで凄いとは想像していなかった。それに比べて日本人はどうか..。私自身を含め、半数以上が日常会話すら危ういような悲惨さであった。中には流暢に話せる人もいたが、帰国子女であったり、幼少期からの英語教育を受けたものくらいだった。

なぜ中国の英語教育は優れており、それに比べ日本の英語教育は劣っているのか..。そこを疑問に思った私は、書籍やインターネット使っていくつかの問題点を探し、それに対する私なりの改善策を書きだしてみることにした。

 

1、日本人は英会話に弱い。

日本の英語教育はインプット中心であり、実際に英語を話す機会がほとんどない。そのためミスを恐れるあまり、消極的にしか英会話をしようとしない傾向にあるようだ。それに比べ中国の英語教育はアウトプット中心であり、ミスを恐れない積極的な英語学習を行っているそうだ。そこが日本との大きな違いであり、真似をすべき点であると思う。

解決策

ディスカッションやネイティブの講師による実践的な英語教育を行い、日本人の内側にある英語への苦手意識を取り除くことが重要であり、より積極的な英語学習を行うべきだと思う。

 

2、英語学習への意識の低さ

「日本人なんだから英語はいらない」かつては、私もそう考える一人であった。たしかに、日本から出ないのであればそれでも問題無い。しかしグローバル化の今、いたるところで英語が必要とされている。何よりそんな考えを持っているようでは、英語力が上達するはずなんて無い。一方中国では、幼少期から英語の重要性が教えこまれているらしく、その成果か生徒一人一人の英語学習への意識が日本に比べ高い。これが中国の英語レベルの高さの秘訣であると思う。

 解決策

現代社会における英語の重要性を幼少期のうちから教え、生徒の英語学習への意識を向上させることが必要だと思う。

 

 3、教師への重い負担

これは英語教育では無く、全ての教育に関する問題だが一緒に紹介しようと思う。最近、中学校、高等学校において、ブラック部活顧問といわれるような問題が浮上してきている。教師は通常勤務だけでも忙しいといわれているのに、半ば強制で部活の顧問等を担当させられていることがあるのだ。海外ではまずこんな問題はあり得ない。部活動の引率等により本来の通常勤務に支障がでる、こんなことは絶対にあってはならない。あくまでも部活は学校での通常教育のうえに成り立つものだからだ。英語教育だけではなく全ての教科に当てはまることだが、生徒の前にまず教師が授業を行いやすい環境を作るのが重要だと私は思った。

解決策

教師がより良い授業を行えるように部活動制度の見直し等を含め、もう一度学校制度全体を見直す必要があると感じた。

 

少しカンボジアの話からは少し脱線してしまったが、カンボジアでの経験がこの問題に目を向けさせてくれた良いきっかけになった。将来、NGOや国連に参加し途上国でボランティア活動を行う場合、また、そういった職業にはつかないとしても、英語は必須ともいえるものなので、積極的に学習しておくべきだと思う。

 

 終章 2週間を通じて..。

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カンボジアでの生活と活動を全面的にサポートしてくれた、プロジェクトアブロードのスタッフのみなさん。彼らには感謝の気持ちでいっぱいです。

このカンボジアでの2週間のボランティア活動を通じて、見てきたことや体験したこと、思ったこと等を7章にわたり書かせてもらった。悪い問題点ばかり書いたが、実際のところカンボジアは凄くいい国だった。数々のすばらしい遺跡や文化。ベトナム戦争や内戦、そしてポルポトによる悪夢の独裁から立ち直り、経済成長への道を歩んでいるカンボジアは素晴らしいものだと思う。今現在、カンボジアは決して裕福な国ではない。しかし、街を行き交う人々、そして無邪気に遊ぶ子供たち..。貧しいながら今を必死に生きる彼らからは、裕福になりすぎてしまった日本人が忘れてしまった「何か」を気付かさせてもらえた気がした...。

 

プロフィールに書いてある通り私は将来弁護士、そして政治家になりたいという夢を持っている。私の目標である「行動力がありかつ論理的」な人間を目指すためには、もちろん机の上での勉強は大事だと思うが、それと同じようにこういった体験を積極的に積み、広い視野を持つことが大切だと思う。残りの高校生活をより充実した素晴らしいものにし、目の前の目標である中央大学法学部合格を達成できるように、限られた時間の中で精一杯頑張って行きたいと思う。

 

 最後にカンボジアでのお世話をして下さったプロジェクトアブロードのスタッフの皆さん、楽しい思い出をくれた各国の友人たち、そして渡航費や活動費を出してくれた家族に心より感謝申し上げるとともに、この記事を締めさせて頂きます。

 

最後まで閲覧して頂きありがとうございました。

 

 

 

高校生カンボジア体験記.前編

あなたは発展途上国であるカンボジアがどのような国か知ってますか?

知ってる人、知らない人にかかわらずこの記事は全ての人に読んでもらい、是非、カンボジアという国の実情を知ってもらいたいと思います。

 

序章 旅立ちの動機そしてカンボジアへ。

2016年7月31日。高校二年生の私は夏休みを利用し、人生初の海外ボランティアに参加するためカンボジアへ向かった。なぜ高校生の私が異国の地、カンボジアでのボランティア活動を行おうと思ったのか...。その理由は自慢できるものではなく、いってしまえばただ海外に行ってみたかった。それだけだ。しかしこの2週間、私がカンボジアで体験し学んだことは、行く前までは想像もしていなかったほど素晴らしいものだった。

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日本からカンボジアまでは約4235km。

今回の活動地カンボジアの首都プノンペンまで、日本からの直行便は現時点(2016/08/15)では運行されていない。そのため福岡在住の私は、福岡空港からバンコクスワンナプーム国際空港を経由し、プノンペン国際空港へのルートを使用した。どちらもタイ国際航空を利用したが、大きく揺れることもなく快適な空の旅だった。

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バンコク上空にて撮影。

そして日本を発って約8時間後プノンペンへ到着した。その後、車に乗りこみ宿泊先のホテルへと向かったが、窓から眺める景色全てが日本と違って見え、異国の地カンボジアに来たということを改めて感じた。ホテルに到着後、2週間ともに過ごすルームメイトに挨拶をし、明日からの活動に備えるため私は、高まる胸を落ちつかせながらベッドへと向かった。

 

※第一章からは、体験した出来事に私見を加え編集したものであり、体験した順に時系列に沿っているわけではありません。

 

第一章 貧困世帯の子供たちとSCC。

 今回のボランティア活動の主目的ともいえる子どもたちとの交流及び英語教育を、SCC(salvation center Cambodia)にて行った。

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バスで郊外へ向かうこと数十分。あたり一面に無造作に捨てられたゴミが強い臭いを放つ中、今にも壊れそうな継ぎ接ぎのプレハブ小屋の間を抜けるとSCCに到着する。

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ここがSCC。もともとは殺風景な壁だったが、壁に絵を描くことで明るい雰囲気になり、子供たちから大いに喜ばれた。

ここは貧困世帯の子供へ向けての教育を行っている学校であり、都市部から少し離れた貧困地域の中にある。私たちは2グループに分かれ農作業や、上記に挙げたように交流及び英語教育を行った。

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SCCにて子どもたちとゲームをしているところ。英語のゲームや歌を歌うことで英語を覚えてもらう。

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雨期の時期、降りすぎた雨を流すための水路作りの最中。

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子どもたちも手伝ってくれた。

それらの活動を行う中でいくつか印象に残る出来事があったので、ここに紹介しよう。

まず、施設の中に積まれた燃え残ったゴミの山に驚いた。お菓子のプラスチック容器を始め、ビニール袋や空き缶、サンダル等にいたるありとあらゆるゴミが捨ててあった。そう、学校の敷地内でプラスチックを燃やし、その周りで子どもたちが遊ぶのだ。

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 これがその様子。奥に見えるのは庭であり、ここに畑や子ども達の遊び場を作った。このゴミはのちに片付けた。

その他にも、現地で簡単なクメール語(カンボジア公用語)を覚え、子どもたちとコミュニケーションをとる中で印象に残った出来事があった。それは子どもたちの外見と、実年齢がまったく一致しないことだ。中には7~8歳に見える子が12歳だったり、見た目は10歳くらいの子が私たちとほぼ変わらない14歳だったりすることもあった。もともと人種によって差があるといえ、少なからず貧困による栄養不足が大いに関連しているだろう。またスタッフの人に話を聞いたところ、原因は不明だが髪の毛が脱色してしまっている子どももいるそうだ。

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 SCCでの学習の様子。写真左の男の子は髪を染めているわけではないらしい。

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SCCでの活動最終日。みんなで風船で遊び、お菓子を配ってパーティをした

2週間のボランティア活動のうち半分以上をここSCCで過ごしたが、子どもたちとの交流はとても有意義なものであり、別れはとても辛いものであった。ここで出会った子どもたちが将来立派な大人になり、幸せに暮らしてくれることを期待するとし、この一章を締めさせてもらう。

 

第二章 彼らに必要なもの。それは教育。

2週間の活動中、プノンペンにある観光地リバーサイドの路上にてカンボジアの伝統的な踊りを踊る機会があった。30人以上によるダンスだったためか私たちの周りには次第に人だかりができ始め、ピーク時には100人近い人が集まった。

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夕方のリバーサイド。こちらの写真は引用させてもらった。

そのダンスの後、リバーサイドを少し歩いたのだが、そこでものを売っている子どもに声をかけられた。どうやらヘアゴム?を売っているようで、つたない英語で2つで1ドルだと言われた。私は記念に買おうとしたのだが友人に止められた。なぜかと思い話を聞いたところ、彼らは親に言われ学校に行かずにものを売らされているそうだ。彼らは本来学校に行くべきであって商売をするべきではない。というのが友人の考えでありそれに異存はないが、貧困による生活苦ゆえの仕方が無い行為だと思うところもあった。

物売りの子どもを見かけたのはリバーサイドだけではない。街中のいたるところにいた。中には信号待ちをしている運転手に、ものを売っている子どももいた。

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 アンコールワットに行った時に撮影。彼は扇子を売っていた。

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彼は信号待ちのドライバーに物乞いをしていた

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こちらは子どもではないが..。停車中のバスの中に物乞いに来る老人。働きたくても仕事が無いのだろう。

日本では信じられないような光景だが、この国では普通の光景である。世界には学校にも行けず、自分たちが商売しないと生活できない子供たちが沢山いることを是非知ってほしい。

 

 第三章 地雷...。それは負の遺産

プノンペンにある有名な観光地ロイヤルパレスに行った時の話だ。ロイヤルパレスの前で片足の無い車いすの男性が物乞いをしていた。おそらく地雷による犠牲者の一人だと思うが、中には物乞いのために手足を切断される人もいるそうだ。残酷な話だか現実で起きている出来事なのだ。

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アンコールバイヨンにて。地雷犠牲者による演奏団、そしてその隣にメッセージが書いてある。

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こちらはプノンペンのマーケットにて。彼もまた地雷の犠牲者らしい。1ドルを渡し、写真を撮らせてほしいと頼むと笑顔で引き受けてくれた。

いまだにカンボジア国内には数多くの地雷や不発弾が残っており、それによる死者も多く出ている。ベトナム戦争カンボジア内戦そしてポル・ポト率いるクメールルージュによる独裁から40年近くたつが、その傷跡は今日にも残っている。

 

第四章 カンボジア名物交通渋滞

カンボジアと言えばアンコールワットだが交通渋滞でも有名だ。カンボジアにいってまず驚いたのがバイクの多さだ。私見だが車よりもバイクが多かった気すらするほどだ。運転に対する危機感も無く最悪だ。バイクの3人乗りは良く見かけ、中には4人乗りすら見かけた。

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道路を渡るときなどは、ものすごい数のバイクや車が止まらずに間を走ってくるからたまったもんじゃない。

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カンボジア名物の三輪タクシー、トゥクトゥクだ。一度乗ったが乗り心地は結構良かった。

都市部の多くでは道路は舗装され信号機もあるとこはあるが、少し郊外へ行くと舗装されてない道路が目立ってくる。

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日本の信号機とは違い残りのカウントダウンが表示されている。

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 郊外の景色。バスの中から撮影。

これだけ車やバイクがあるとそれから出る排気ガスも多くなる、そのため都市部の空気は汚なかった。大気汚染は深刻な問題なのだ。これらを改善するためどうすればいいか..。それは電車やバスなどの公共交通機関を使い、車やバイクでの移動を減らすことだが、現実、カンボジアはいまだ発展途上であり、環境問題は二の次になっている。しかし、いずれ課題になる問題でもあるため今のうちに考えておく必要があると思う。

 

4章にわたり書かせてもらいましたが、まだまだ書き残したことがあるため、そちらは後編にて紹介したいと思います。

 後編はこちら↓


閲覧頂きありがとうございました。後編もよろしくお願いします。